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いたやりんご農園の歴史

昭和10年頃から三郷地区では桑畑や野菜畑の他に、国光・紅玉・スターキングを主体にりんご栽培がなされていました。昭和30年代 青森で「国光」と「デリシャス」を交配させ「東北7号」が選抜され普及が始まりました。そして37年「ふじ」と命名されます。


時は 昭和30年代の高度成長期、お蚕(おかいこ・養蚕)をするより勤めに出る方が良いと桑畑を手放す人が増え始めた頃でありました。(養蚕業の衰退)


昭和37年、当園では美味なりんごがあると聞き、苗を購入し最初に植えたのが「紅玉」と「東北7号」、4反歩弱のりんご園の始まりでした。

 

周りは桑畑・桑畑の後にりんごを植えるとモンパ病が出ると言われましたが当園では幸い発生せず栽培が始まりました。


その頃は旧ふじで消毒もほとんどしなかったので、初収穫までには5、6年もかかりましたが初めて食べた時は美味しくて感動しました。
その頃は牛車で車輪をタイヤに代えた荷車にりんごを乗せ運んだり、耕運機で荷車を引っ張っての作業でした。


昭和40 年代後半、畑の散水施設・スプリンクラーが整備され昭和50年頃から近隣にもりんごを栽培する農家が増え、いたやりんご農園も今の規模のりんご園となり現在に至ります。

モンパ病とは・・・

土中に生息する比較的桑畑に多い根の細菌による病気。

地中の消毒・土壌の改良が必要になる。

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